私のこと

 私がこの仕事に踏み込む決意をさせてくれた過去の出来事です。

 

長文になります。

よろしければお読みいただければと思います。

 

 私が最初に出会ったペットは小学生の時飼ったセキセイインコたちです。その後、迷い猫を家族で飼い始め、それから私の猫人生が始まりました。(どうやら、父母とも大の猫好きだったらしく、子供の頃はずっと猫との生活をしてきていたようでした)

 

 ある日別のメスの迷い猫が実家の縁側で出産し(多分飼っていた雄猫の子供だったよう?)、産まれた子猫たちをできるだけ元気に長生きさせたい、自分で出来る限りの世話、看護をしたい、と思ったのがきっかけで、動物病院で働きはじめました。

 

 5匹産まれた子猫たちの中でも溺愛していた子の名前が「ちき」

。まあるい短いふさふさのホウキのようなカワイイしっぽをしていました。店名の「ちきのしっぽ」の由来です。

そんな溺愛していたちきが、10歳のある日突然心不全で亡くなりました。予兆はあったのですがそれに気付かず、充分な治療ができないまま突然天国へ旅立ってしまいました。

その3ヶ月後にちきのお母さん猫(私に子猫たちとの幸せを与えてくれた猫)が、扁平上皮癌で亡くなりました。下顎に出来ていた癌でしたが、食に対する気持ちが強く最後までずっと食べ続けていてくれました。(なので手術で下顎を取り除く事はしませんでした。) 後で思うと、ちきはいくつになっても甘えん坊のお母さん子だったので、母猫が旅立つ前に天国で待っていたかったのかもしれませんね。

 

 その後4匹の猫の旅立ちを見送りました。

突然亡くなった子(8歳)、引っ越しが原因で食べられなくなって徐々に衰弱してなくなった子(17歳)、老衰(20歳、21歳)の2匹です。

老衰で亡くなった内の20歳の子は、徐々に衰弱していったので、3ヶ月間介護生活を送りました。その子が具合が悪くなってからの生活が、現在の仕事に踏み込む直接のきっかけとなりました。仕事でその子をおいて出かけるのがとてもつらく、こんな時に誰かが代わりにいて看病してくれたら・・・一緒にいてくれたらその子が寂しくないのに、と日々思っていました。病院に連れて行くのはその子の負担が大きいと思い、院長先生に聞きながら、看護を最後まで続けました。いっぱいいっぱいの毎日でした。

最後の21歳の子は前の子の看護の様子をずっと見ていたので、私の気持ちを察してか、具合が悪くなってから、たったの2週間で旅立ちました。あっけないお別れでした。

 

 猫たちはみんな私に愛と力と癒しを与え続けて、一生懸命に生きてくれました。その大きな愛にくらべて私がこの子たちに与えてあげられたものは何だったのでしょうか?

 

 私は長年、動物病院で働いてきて、たくさんの命とそれを見守る飼い主さまに出会いました。命を救う仕事の一部を担ってきました。命の現場で働く事は、責任も重く、何物にも代え難い貴重な時間でした。動物看護師は私の天職とさえ思いました。

 その現場をあえてやめて独立する選択をしたのは、もっともっと直接、困っている方や苦しんでいる動物たちのお世話や看護をさせて頂きたい、動物病院に来られない方や動物たちのお手伝いがしたい、その子たちを見守る辛い気持ちを抱えている飼い主さまのお力に少しでもなりたい、と深く思うようになったからです。

動物看護師とは違う形にはなりますが、命を守り、支え、心に安らぎを与えていきたい。

微力ではありますが、この仕事を通じて、少しでも皆様の心と体の負担を減らし、ペットたちを楽にしてあげられればと思っています。

 

 私が旅立っていった猫たちから与えられた愛、への恩返しです。そして動物病院で出会い別れた命へのお礼です。

大切な時間を、経験を、させてくれた私の猫たちと、動物病院で巡り会えたたくさんの動物たちの命と、たくさんの心の暖かい飼い主さま、そして今まで生きてきて私を助けてきて下さった方たち、働いてきた動物病院の方たち、に心より感謝申し上げます。